2016年5月17日火曜日

本院感染症対策チーム

 4月23日早朝、第一陣は熊本市内のミッションを終えて、阿蘇医療センターに向かった。センターにはADRO(阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議)が設置され、阿蘇地区周辺の医療を統括していた。長崎大学病院第一陣は次の陣が動けるよう、その拠点づくりを目指した。 「ノロウイルスの検査キットを熊本県庁に寄った際、受け取ってくるように」。第一陣の山下医師が熊本県の指示を受け、第二陣に伝えた。

 センターに到着すると、救急外来の入り口には「ノロウイルスが流行っているため、患者さんは申し出てください」という張り紙があった。 院内のトイレにも「このトイレはノロウィルスの患者さん用です。一般の方は使用しないように」とも。張り紙から漂う物々しさをよそに、院内は落ち着き払っていた。

 第一陣、第二陣は当初、救急外来への対応を担った。しかし、状況は一変した。センター内で感染症対策に精通した医師がいないか、急きょ呼び掛けられた。第二陣の浜田久之医師はすぐに手を挙げ、長崎大学病院に感染症対策チームの応援を要請した。

 長崎大学、長崎大学病院は感染症研究や感染症対策などで実績がある。長崎という土地は古くから東南アジアを拠点としたオランダや中国の貿易船を受け入れてきた。国際都市にとって熱帯地方から持ち込まれてくる感染症への対策は不可欠だった。155年前に開院した長崎大学病院の前身、養生所もその一端を担っていた。今も脈々と受け継がれている。

 感染制御教育センターの泉川公一センター長が阿蘇入りしたのは、翌日4月24日。この日の新聞各紙には「南阿蘇村 ノロウイルス25人 避難所で集団感染か」の見出しが大きく打ち出された。